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http://www.horama-line.com

【潔癖と約束】HORAMA-LINE.incが放つアパレルプロジェクト始動!!

HORAMA-LINE.inc立ち上げ以降、ようやくTシャツの新作が完成しました。

 

ここ数ヶ月はブログもYouTubeも止めた状態で制作に勤しんでいました。そのうちの一つが今回のプロダクトになります。

 

 

 

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https://horamaline.official.ec/

 


昨年からTシャツの制作を行ってきました。これまで3種類のデザインを販売してきました。グラフィックデザイナー、コラージュアーティストとしての能力を遺憾なく発揮する事を目的として行ってきました。

 

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そして今回のTシャツは、そういった流れとは一線を画するデザインとなりました。

 

 

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フロントは無地のホワイト。バックは腰の部分にHORAMA-LINEのロゴとVelvetic vistav Relation-shipがあしらわれています。

 


このデザインに行き着いた事で、これまでの人生で受けたある社会問題(と言うと大袈裟かもしれませんが)に向き合うことになりました

 

 


このブログの前身やYoutubeで何度も書いて伝えてはおりますが、私は大学を卒業してグラフィックデザイナーを名乗り、一度その道を諦めた時期がありました。2018年11月にまたここに戻ってくるわけです。

 


その間、とあるレストランで料理人になる道を進んでいました。まともな社会人経験のない私は、それまでの時間を取り戻すように、料理人としての技術よりも、一般社会常識を会得することに時間を費やしてきました。

 

 

 

当時ファッションについてどう捉えていたかというと、「絶対にバンドTシャツを着る」でした。

 


流行を追いかけ的確に押さえるのではなく、マンガのキャラのように「こいつはいつもこの格好」と印象付けるものでありたいと思っていました

 


思えば着るバンドは変われど、高校時代からこの考えは続いていました。

 


しかし料理人になる道を進んでいる中で、一般社会常識を携えて生きるには大きな壁が立ちはだかります。

 


社会人として良識のある身なり」「清潔感のある服装」を求められることでした。

 


当然、奇抜なデザインを施した派手なプリントはNGです。

 


それまでは意識したわけではなかったのですが、黒一色の格好をしていました。TシャツはバンドTシャツでデザインは尖ったもの。

 


服装はその人自身を映し出す鏡だとして、やはりファッションは文化を色濃く投影されたものなのかもしれません。

 


黒一色の格好をしていても、信じているものをただ一点に絞って表現する姿は私個人の趣向を表すとともに意志を表明するものでした。

 


昔から「季節ごとに服を揃えろ」だの「夏らしい格好をしろ」だの「もっと色々なものに目を向けろ」だの言われてきました。けれども流行や風潮に迎合する時間もお金も惜しかったし、何よりも私は欲しいと思ったものはすぐに買ってしまう性格でした。これは家族にも知人にもあまり知られていません。

 


「欲しい」と思ったら既に買っている。買っていないのは「今着ているもの以上のものが目の前にないだけ」でした。目新しさやワクワク感を煽るそんな出会いではなかった。

 


マンガのキャラクターのように「この人はいつもこの格好をしている」そう印象付けたい私にとってTPOで服装を選ぶなんて事はしませんでした。「常に最高の状態で外に出る」。伝えたいメッセージは明確でした。

 

 

 

少々脱線しましたが、私は昔からこういった考えを持っていました。そんな中でTPOで服装を考えなければならない状況に陥りました。

 


派手なプリントのTシャツは好まれず、白や白っぽい服を選ぶようになりました。それがずっと嫌だったわけではなくて、やってみると意外と良かったりはしました。

 


ただ、いいか悪いかの判断基準は自分にはありませんでした。最終的にそれをジャッジするのは相対した時の「相手」にありました。

 


問題はその服装に対して明確にいいか悪いかのジャッジを下すものではない事です。

 


相手に合わせて、相手に違和感や不快な思いをさせない、主張のないまとまった格好である事。それは「当たり障りのない姿」であり、一般常識という紳士協定からはみ出さないためのものでした。

 


それ自体が悪いわけではないけれど、事実、少しその服選びを面白いと思ってはいたけれど、それは私がかつてファッションについて考えていた「常に最高の状態で外に出る」には足りないものでした。

 


「もっといいものがある」と分かっているにも関わらず、そちらの選択は取れなくなっていました。

 


【自分がしたい格好A】と【他者に好まれやすい格好B】があったとして、Bを選択した瞬間からAにはもう戻れない状態になっていた。

 


知見は広がって、自分の世界だけで繭にこもっているだけではない選択肢を得たとしたら、それは個人の成長で大人になるという事なのでしょう。

 


しかし、Bを選択した事でAを手放す事になってしまい、私の中で大事なものがなくなった気がしました。長い時間と想いを持ったものを手放す。そしたら自分には何も残っていない空っぽの感覚。

 


自分が本当に好きなものを手放して、たとえ不得意でも期待して引っ張ってくれる人がいるならと進んできたけれど、その先に自分が本当に欲しいと思っているものはない。欲しいと思っているものが何か明白なのに、これからの自分の人生の時間を費やしても手に入らないと気づいた。

 


2018年11月に前職を退くことなった私は、これまで紆余曲折を経て好き勝手に生きている。自分が好きな服を着ていたし、自分でTシャツをデザインするようになってからは「自分のTシャツしか着ない」を心情にしてきた。

 

 

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好きなバンドのTシャツは着なくなったけれど、それでもアルバムがリリースされれば聴きまくるし、ツアーがあれば足を運んだ。

 


去年行った2つのライブで、この選択は間違っていなかったと痛感した。

 


11月に9mm Parabellum Bullet、12月にTHE BACK HORNのライブだ。どちらもずっと聴き続けてきたし、Tシャツはずっと着ていた。なんとか普段着として着続けようとシンプルで尖っていないデザインのTシャツをヤフオクやメルカリで探しまくって買い漁っていた。

 


しかし世間一般では彼らは誰もが知る超有名バンドではない。ミスチルやサザンやB'zなどとは程遠い。しかし好きなものは好きなのだ。カラオケでこれをチョイスすると、後で怒られるわけだ。「みんなが知ってるものを歌え」と。そこでチョイスしなければならないのは70年代90年代の各年の代表曲だったりする。相手に合わせる事を要求され、「最近の曲は全然良くない」「よくわからん」と言われる。

 


私もそうなのだが、AKBから始まったアイドルの大量生産にはついていききらないところがある。tictokも勢いはすごいが静観している。

 


要はジェネレーションギャップなだけなのだ。みんな自分が多感な時期に吸収したものが最高だと思っている。10代20代の一番体も心も元気で無敵だった時に側にあったものを愛している。

 


それが日本のように極端に上下関係が強く、上司の采配が全てのような世界観では若く新しい才能は立場が弱い。

 


若い事は何よりも重要であるにも関わらず、「若輩」といって卑下されて価値を認めてもらえない。

 


去年行った2つのライブ。隠さずに言えば、ちょうどこの2バンドはボーカルが不調だった。THE BACK HORN山田将司氏は喉の不調を訴えてツアーを数本延期したのちのライブだった。その後ポリープの手術に至る。

 

 


20191216 THE BACK HORNのカルペ・ディエム@福岡ドラムロゴスに行って来ました

 


9mm Parabellum Bullet菅原拓郎氏は、当日のライブの中盤から明らかに声が出なくなった。あいだにインターバルを挟みながらなんとかライブをやり切った。

 

 


20191117 9mm Parabellum Bullet FEEL THE DEEP BLUE TOUR 2019 @Zepp Fukuoka 感想レビュー

 


どちらも全力を出せたライブだったかと言えば、決してそうではなかっただろう。けれど、そこに居合わせた自分や他のオーディエンスに「残念」に思う気持ちはなかった。

 


そのときに強く思った。好きなもの、これだと感じたものに本気で挑んだ。それに集まったのがファンだ。双方は互いに生かし合っている。

 


自分が周りの意向に沿って無難な格好になっていくことで、彼らは生きる術を失ってしまう。

 


好きなものを好きと言えないことで、失われていくものがある。

 


ゴスロリファッションだってなんだってそうだ。あんな服は片手間では作れない。本腰を入れて集中してではないと作れない。そんな職人がいたとして、それを愛するファンがいる。作る事をやめられない人がいて、それを着る事に喜びを感じる人がいる。

 

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双方が生かし合っている関係性に割って入り、やれ常識だなんだと縛る権利は誰にあるのだろう。

 


そうやって相手のファッションを貶すことで、それを生業にしている人の食い扶持を奪い、想いを踏みにじる

 


そうして文化は育たず衰退していく。

 


時代が進めば既存のものは進化と淘汰が進む。その一方で新しいものは次々に生まれてくる。テクノロジーは利便性を著しく向上させ、新しい価値観は多様性を表出させる。

 


そこに蓋をして、いつまでも何十年も変わらない姿でいることが是であるという狭い常識を押し付けているあいだに、世界はものすごいスピードで変化していく。

 


日本はこれから落ちぶれていく。このまま常識と伝統を重んじるだけの価値観ではそれは避けられない。

 


今回、無地のホワイトTシャツを制作する事でこの問題と向き合おうと思い至りました。

 


フリフリのついたパステルカラーのロリファッションは若いうちでも一般の視線は冷たいものがあります。そこは本人の「好き」と「こうありたい」が勝りますが、20代も後半に差しかかる頃には「いい大人なんだから」と苦言を呈してくる、いわゆる常識人がちらほら現れてきます。

 


その頃の年齢になれば、仕事の上では何かしらの責任ある役割を持っていてもおかしくはありません。仕事とプライベートを完全に分けて生活していくには、この国では少々どころではなく、かなり難しくなってきます。

 


仕事にかける時間は増えていき、プライベートに使える時間は減っていく。仕事に向かうときの格好は常識的な服装を求められます。

 


周りに合わせて個性を殺し、引き返すことが許されずに大切なものを失って生きていく。それが大人になる事であると一方では言われるかもしれない。しかし、世界は大きく変化し、日本も同じく変わらなければならないと感じています。

 


コロナの脅威で経済が大打撃を受けようが、緊急事態前言が敷かれようが、喉元過ぎればまた同じやり方で毎日を過ごして同じ脅威に同じ苦しみを強いられる。「みんなそうなのだから仕方がない」この同調圧力こそ脱却すべき一番の問題で、ウイルスなど足元にも及ばない。

 


少しずつ少しずつ認識をずらして行こう。

 


いきなり全てを変える事はできない。ずっと私と同じ違和感に苦しんでいる人がいる。それは間違いない。

 


その人に届けばいい。

 


かつての自分のように、一見無難なデザインであっても自分が信じるものを宿していたならと。

 


このTシャツのテーマは「潔癖と約束」です。

 


表向きは真っ白なTシャツでありながら、裏にはその想いをしっかり刻んでいる。

 


「新しい」か「あったらしい」の2つがあったとして、人が集まるのは後者です。長い下積みを経験した話しはみんな大好きなんです。方や、いきなり現れたものを人は敬遠しがちです。

 


STANDING BACK / LAID BACK OCEANhj

 


真っ白なTシャツを着ているという社交性と服従の裏で、確実に「そこにあった」という既成事実を作り出す。これは、これまで書いたように真っ黒に塗りつぶせそうなぐらいの文量を反転させたゲリラ的な反骨を宿しています。

 


正しく「潔癖と約束」となります。

 


【SOCIAL CAMOUFLAGE】

もうひとつ、社会に擬態するという「カモフラージュ」の要素も含んでいます。カモフラージュ、カモフラ柄というのは、軍人さんが着ているアレです。

 

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戦場などで敵に見つからないように、周辺の景色と一体化する。これを「社会に擬態する」と考えを応用しようと考えた結果、「白い潔白なもの」が好まれる。

 

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「TPO」や「相手に合わせる」という考えで服装を選ぶのではなく、自分の信念は曲げずに「社会に擬態する」。社会に溶け込むには潔癖の「白」が望ましく、いつか来るその日まで、「あったらしい」を貫いて欲しい。合流地点は必ず作り出す。

 


HORAMA-LINE

Velvetic vistav Relation-ship

 

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今回の撮影は雨の交差点で「赤信号を渡る」というものになっています。傘は折れています。誰も行かない道を行く。着用写真としては物足りなさを感じるかもしれません。しかし、表向き白の無地Tシャツだと着たときのイメージを持つことは容易だと考えました。

 

むしろ伝えるべきは「白の無地のTシャツを着る意味」を伝えるべきだと考えたので、こうした形になりました。

 

 

グラフィックデザイナーとして、その能力を遺憾なく発揮した派手なプリントを施したTシャツを作ってきましたが、それは単純に「着たい」と思わせるようなものであると同時に「それいいね」「ヤバイね」と隣の誰かに派生していく事を期待していた部分がありました。

 


それはあまりにも軽薄で卑しいものだと猛省しています。

 


まずはあなたに届けばいい。

 


HORAMA-LINE.incがこれから先、確実に大きくなっていく事を誓い、このTシャツと共に「約束」します。

 


それまであなたも信じたものに純粋であり、自分に「潔癖」であって下さい。

 

 

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https://horamaline.official.ec/